ブロンド アンドリュー・ドミニク


恐ろしく暗く長い、しかしとてつもなく美しい映画だ。なにより、これまで体験したことのないカメラワークに圧倒される。モンローのことを全く知らない方が見ると混乱する映画なので、一定の予備知識があったほうがベターな映画かもしれない。




映画はまず、幼少期のノーマ・ジーン・モーテンソンとして出生したマリリンの幼少期が描かれる。狂気に満ちた母親が、誕生日に父親の写真をマリリンに見せるシーンからこの映画は象徴的に描かれる。父親の写真が飾られた壁がひび割れているのだ。どこかコーエン兄弟の『バートン・フィンク』を連想させるこれらのシーンで、マリリンが晩年自己破壊の道へ進むことが運命づけられていることがこのひび割れで想像させる。


マリリンはいわば私生児として生まれ、父親の存在を知ることなく、貧しい子供時代を過ごし、幼い頃から虐待を受けながら、ハリウッドでスターとなるきっかけもまた映画会社の大物と肉体関係だったことが映画の中でも示される。


映画はハリウッドでスターになってゆく華々しいモンローの姿を極力避け、トップスターとなることで失ってゆく理性を描き切っている。父親不在の彼女にとって、常に意識したのは父親であり、自らが母親となることだった。そのことはこの映画で何度も描かれる。有名なメジャーリーガー(ボビー・カナヴェイル)やアーサー・ミラー(エイドリアン・ブロディ)は、いずれもマリリンにとって父親としての存在だったことを示す。その過程で、ゲイの2人と過ごした日々が前半でとても印象的に描かれている。チャーリー・チャップリンの長男カス・チャップリンとの会話は、マリリンを女優へと導くきっかけであり、自らを失ってゆくきっかけでもある。この頃の出会いがラストシーンで極めて大きなメッセージを残す。
ケネディ大統領とのシーンは衝撃的だ。大統領の部屋に招かれる彼女は、ベッドで横たわりながら話し大統領の股間に顔を埋める。こういう事実があったことは噂されているが、これほどなまなましく描くことで、当時の社会が女性に対するリスペクトをほぼ失っていたことは明瞭に描かれている。
もうひとつ驚いたのはジャック・レモン。『お熱いのがお好き』でマリリンと共演したジャック・レモンがそっくりそのまま演じているので、合成で加工したのかと思いきや、なんとジャック・レモンの息子クリス・レモンが演じていたようだ。あまりにもそっくりで驚いた。



そんな自虐的な女優をアナ・デ・アルマスは見事に演じきっている。キューバ人であるアルマスが、ネイティブイングリッシュでセリフを喋ることの困難さについては、冒頭の映像で藤谷文子さんが解説している。余談だが、先ごろ公開されたダイアナ妃のドキュメンタリーや映画などで示されるテーマはいずれも共通する。自らを殺して生きることで、内面に向かう狂気。有名になることで失われてゆく私生活など、そのすさまじい暗転ぶりと社会の蔑視思想などが露骨にこの映画にも示されている。


驚くことはほかにもある。マリリンが活躍した当時をそのまま再現したシーンはあまりにもそっくりで驚かされる。そしてマリリン自らの目線で追うようなカメラワークなども見応え十分だ。カメラが縦横無尽に動き回り、マリリンがレイプされると彼女の目線でカメラが揺れ倒れてゆくなど、そのすさまじい臨場感はかつてない迫力だ。しかもカラーとモノクロ、そしてワイドとスタンダードサイズの画面を生かし、私生活と映画のシーンを交互に見せ、なおかつカラーとモノクロで”ブロンド”の色合いを変える演出は圧倒的だ。海辺の別荘で、夫のアーサー・ミラーから海に誘われるシーン。キッチンの端から端に被写体がいて、ミラーが近づくとそれに合わせてカメラも2人をフレームのギリギリにおさめるという映像は刺激的で印象深い。


技術的には極めてアバンギャルドで実験的な映画である。


そして内容は、モンローの歴史を描くものではなく、虐待された有名な女性の顛末を描くものだ。こうした狂気の中で、常に過ごすスター(あるいは皇族のような有名人)の苦労の果がこの映画の主題だと思う。それは映画の冒頭で壁に伝わる亀裂。それは大きな意味でいえば人間の尊厳にたいする亀裂とでもいうべきものなのかもしれない。






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