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経済社会の学び方①  猪木武徳著

猪木武徳先生の本は「戦後世界経済史」を読ませていただいて、2009年に出版された本だが、実に壮大なスケールの本で、最後に中国における為替操作の可能性をじわりと書き残していて印象的だった。



その後新聞や雑誌で猪木先生のコメントなどを追いかけると「デモクラシー」というキーワードに行き着く。そのことはまたいずれどこかで記事にするばきかもしれないが、いずれにしても猪木先生の言うデモクラシーとは、どちらかというと肯定的な意味ではなく、かつて日経の経済教室にも寄稿されていたとおり「裸の利己主義がまん延しやすくなる」というような意味で使われてることにやっと気づいてきた。


そしてこの本は、2021年12月の新聞記事に、猪木先生が「経済社会の変化を読み解く」というタイトルでインタビューに応じる中で、この本が紹介されていて矢も盾もたまらず買ってそのまま置いておいた本である。2年後越しに読み終えた。先生はこの本で、通説や権威に惑わされず”自分で確かめよ”と教えてくれる。それがこの「経済社会の学び方」だ。


サブタイトル「健全な懐疑の目を養う」は、この著書をひとことで説明できる。
第1章 方法論
この中で、伊東光晴先生のことが紹介され、伊東先生もまた「現場の空気を吸うこと」と言われていたことが紹介される。自分も放送大学で伊東先生の講義を受講したことがあるが、先生が市場調査をするのに、八百屋のトラックを追跡した、と聞いて驚いたことを思い出す。そうした実践論が「アベノミクス批判」など予見性のある名著につながることがわかってくる。誰かの説や言葉を参考にしつつも、自らの手で調べて真理に近づくという姿勢を失ってはならないのだ。山中伸弥教授の言葉もまた真である。

真理は何枚ものヴェールに覆われていて、研究とはヴェールを1枚1枚はがすようなもの


第2章 理論の功罪
理論が現実から離れて、感情的な領域に至る時、ときとしてそれが政治利用されることで国家間の諍いへと発展することもある。かつて社会主義革命を日本でも起こそうとした学生運動や労働運動も「労農派と講座派」の対立などを理由に革命は起きなかった。かといって2つの論を折衷するだけでは、現実に誤りがあることに気づかない。カーネマン、トベルスキーの「プロスペクト理論」の行動経済学という分野でも言い当てる言葉がある。

一旦手にしたものを失うことの心理的苦痛はそれを持っていなかったときの苦痛を上回る

これはある種のサンクコストとも言える。失うものは得るよりも辛い。つまり理論を重ねるとどうしてもその積み上げた苦労を失うことを恐れ、理論から離れられない。アダム・スミス「道徳感情論」に言われるまでもなく、人は誰かに同調しがちだ。しかしそこに疑いの目を持たないと大政翼賛的な社会が戦争へと向かう場合もあることを認識するべきであろう。


第3章 因果理論との向き合い方
シンプソン・パラドクスは、因果関係を端的に示す。統計も集計方法を変えれば結果も変わってくるというもの。コロナ禍でワクチンを投与する際もメディアや国家の情報に吸い寄せられることのないよう注意しべきだ。ケインズが言う。

われわれはあふれんばかりの情報をその上面だけに目をやりながら単に情報を消費しているだけ




つづく・・・



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