オフィサー・アンド・スパイ ロマン・ポランスキー☆
『オフィサー・アンド・スパイ』をさいたま新都心で鑑賞。
ロマン・ポランスキー監督最新作!『オフィサー・アンド・スパイ』予告編
内田樹さんの「ドレフュス事件と反ユダヤ主義陰謀論」は、この映画のその後の世界が壮大なる混乱を招いている原因に、このドレフュス事件があることを端的に説明している。面白い。
自分なりのレビューもKINENOTEに残したので、ここでは特にそれ以上のことを言及することはしないが、もし時間があるなら『ゾラの生涯』をこの映画の前後に見ることをお勧めする。あちらも素晴らしい映画だ。ゾラとセザンヌが貧しい時代から過ごした生活に、このドレフュス事件が絡んでくる。
こちらの映画は、同じドレフュス事件を描きながら、ポランスキー監督の徹底したユダヤ人に対する虐待とレイシズムについて描く。ドレフュスがユダヤ人だから迫害されていった、という形式にまとめている。しかし、ポランスキーはもうひとつ重要なことを言っていて、それはこの映画の主人公でドレフュスの恩師でもあるピカールという人物とドレフュスが最後に話し合うシーンがある。ここがこの映画のテーマだ。もしあのラストを見て、何か感想があったらコメントをお願いしたい。
残念なのは、キネマ旬報を含む多くの評論家とメディアが、この映画に懐疑的なコメントを残していることだ。彼らは異口同音に、自らの罪を棚上げしてシオニズムを展開するかのようなポランスキーの姿勢を否定的に捉えているようだ。ある評論家は「ポランスキーの歯切れの悪い言い訳」と断じていて複雑な思いがする。
これらはもしかすると言い得ているのかもしれないが、つくり手がこの語に及んで、自らの罪(未成年者への性的暴行の疑い)を棚上げしてこの映画を撮った、という解釈を、映画評論家らがすること自体は受け入れがたい。そんなことより、この映画が日本で公開されるのに3年も費やしたことと、この映画に当てはまる日本のメディアやポピュリズムを演出する傾向にくさびを打つべき素材として、広く宣伝するべきではないのか?
わかりきったことだが、映画も映画を見る側も思想信条は変化する。いまこのように書いている自分すら、明日どうなるかわからない。しかし、これまで世界で映画が守ってきたこともあるはずだ。そのことを避けて、ポランスキーの過去の遍歴を取り上げて、映画と別のサブジェクトにスイッチする評論があっていいのかとも思う。もちろん自分はポランスキーの罪を放免したり目をつぶったりするつもりはない。しかし映画は映画なのだ。そこを履き違えないでいただきたい。
なんと町山智浩さんと内田樹さんの対談が動画になっている。内容があまりにも刺激的で興奮する。
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