倉敷安耶「腐敗した肉、その下の頭蓋骨をなぞる。」 C’est un tournant
8月のこと。
倉敷安耶(くらしきあーや)さんの作品が並んでいた。
それぞれの作品がもつ確信と、そこに描かれ表現される曖昧さという対比が刺激的だ。
そこに顔はあるが視線は定かでない。
そしてその二重性のような曖昧さは、人間がかねてから抱える矛盾。それをマグダラのマリアになぞらえることに説得力がある。被写体が曖昧なのに、バラだけが一輪くっきりと写されていて、その過激な香りが伝わるようだ。
西洋的で日本画のような味わいをもち、個人的でありながら社会性を強調するようなアンバランスさは危うさでもある。その危うさもまた自己に向けたものか社会に向けたものか曖昧でつかみどころがない。見つめれば見つめるほど、この作品のもつ曖昧さと確信という対比は、時として見る者を苛立たせもするようだ。それが作り手の狙いなら、我々はこの矛盾を受け入れるべきだろう。しかしそれが作者の自己へと陶酔してゆくとしたらなおさら危険をはらんでいるように思わせる。
確かな矛盾
それは人間の持つ必然でもある。作り手はこの苦しい戦いに挑んでいるのだろうか。
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