おかしゅうて やがてかなしき ① 前田啓介著
岡本喜八監督の人間像をえぐる本格的な研究本。知られざる岡本喜八像を写しつつ、岡本喜八監督が残した作品へと紐づけする傑作。あらためて岡本喜八作品を見直したくなる。映画についても詳しく書かれていて読み応えがある。岡本監督が残した著書などもつぶさに読み直しているようだ。
岡本監督の各作品に脈々と流れる戦争は、かねてから実体験と思われてきたが、実際に岡本喜八が戦争中にどのような経験をしたかなどについて、御本人が残した日記や関係者に聞き取りを行い、真実に迫ろうとしている。
「昭和の20代は千にひとつも希望がない。どうせ死ぬ。生き残った者にとっては死んだ仲間への後ろめたさがある」という言葉が冒頭に示される。
第一章 米子
戦争と平和が肩を並べて並走していたことが語られる。
しばらく肩を並べていたが、直線コースから戦争が無謀とも思えるスパートをかけて、平和はみるみる置いていかれる。
この表現はいかにも岡本監督らしくて、この本のタイトルともつながっている。岡本監督は母親と姉を早くに亡くしていて、「母も姉も殺された」という思いがあったらしい。ふたりとも結核を患っていたようだが、父親がそれを世間から隠そうとして病状を悪化させたのではないか、という疑いをもっていたらしい。岡本監督にとって母と姉のほか、要所で女性が女神のように現れる。姉が棺に入れられたときのこと、
釘を打つ音がひとつずつするたびに、悲しみが幼い自分のハラワタに食い込んだ。
この頃から岡本監督は、父親に対し愛情と憎悪の両面が宿ったようだ。
第二章 なぜ死ななければならないのか
山本五十六長官の国葬の火、海ゆかばをうたい目がカスンできた
1943年、東宝に入社した岡本監督は、ほどなく戦争に駆り立てられる。黒澤明監督が新人で評判だった頃のようだ。学徒出陣、雨の神宮外苑から、次々に仲間が死んでゆく中、岡本監督は初恋のヒト、八百屋の”お七”さんに思いを寄せる。
身近な祖国があったら死ねるかもしれない
死にゆく仲間と自分を照らして、理不尽な死を受け入れられず、身近な祖国として女性を思い描くあたりがロマンチストの岡本監督らしい。
第三章 早生まれ
しかしどうも、岡本監督は戦場に赴いていないようだ。内地で空襲を受けた経験だけが、彼の真なる戦争体験だったことが明かされる。それは、岡本監督が早生まれで、ぎりぎり出征を免れたことによる。それでも内地戦で、
内臓が飛び出している戦友に「天皇陛下万歳」を唱えさせようとしたが、彼は手を握り動かなくなる。
こうした経験が岡本作品に映像として重ねられていることを実感する。岡本監督は、こうした状況でも頭の中は常に冷静で冷めている。そこのとが日記の中から読み取れるのだ。とはいえ、日記を見つかったらどんな処罰を受けるかわからないので、表現は控えめだ。そうした構成がのちの岡本作品に反映されていることを思わせる。終戦の日も、
武力戦は終わったが、引き続き経済戦を戦うのだ
と、冷静に終戦を捉えている。
つづく・・・
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