#ダリチョコ の映画とグルメ

しょーもないブログです。I am stupid anytime.

#クララとお日さま ② 「AI少女」 #Klara_and_the_Sun

第4部 ここは極めて重要な部分だ。ここまでの伏線を回収に入る。
詳細は控えるが、ここでとんでもない計画が明らかになる。ジョジーをめぐり、ジョジーの姉で亡くなったサリー。そして母親であるクリシーが画家のカバリディとともに計画したこととは何か?父親のポールがクララに語るセリフを引用すると、


「私がカバルディを嫌うのは、やつが正しいんじゃないかと疑っているからかもしれない。」


第5部
街から戻るとジョジーの衰弱が始まる。クララは再びマイベインさんの納屋に向かい、自分の全てを捧げるのでジョジーを助けてほしいと“お日さま”にお願いする。すると納屋にお日さまが入り込んで・・・(このあたりの表現はドキドキするほど興奮する。)その後、いよいよジョジーに死期が近づくのだが、ここで奇跡が起きる。


第6部
あれから数年後、ジョジーが大きくなり、大学に通うため家を出る。ジョジーの回復と成長に合わせてクララとの会話は減り、母親とも疎遠になる。ここにジョジーの肖像(立体的な)を制作した、画家のカバルディが登場してクララの頭の中を覗かせてほしいと提案する。


ここからラストシーンへと進む。

ジョジー「さびしいなんて誰が言ったのよ。」

クララ「たぶん人は誰でも寂しがりやなんです。少なくとも潜在的には。」

という会話がある。これが本当にヒトとロボットの会話なのだろうか。



AIが果たして意思を持つのだろうか?しかしこの作品はAIを扱いながら、まったく別次元の問題に迫っている。ロボットはもともと人間が作ったもので、そのロボットが意思をもつ。これはまるで禁断の何かを想像させないだろうか。まるでアダムとイブがヘビにそそのかされて禁断の果実を食べたかのような聖域がここに忽然と存在するように感じる。画家のカバルディがクララの頭の中を覗かせてほしいと要求するシーンで、世間がAIを懸念している、というセリフがある。この部分だ。
ネットが普及し、スマホやロボットがどんどん普及することで、果たして社会はどう対応するのがいいのか。


イシグロはとてつもなく重たい問題を提起し、人類はこの問いに答える術のないまま進んでいくのだろうか。個人的には後戻りすることも必要なのではないかと思ったりする。
(=^・^=)



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