#ダリチョコ の映画とグルメ

しょーもないブログです。I am stupid anytime.

#リカーシブル #米澤穂信 著 「時価総額30年」

米澤穂信さんの著書を初めて読む。『黒牢城』で直木賞を受賞されたと聞いて、映画帰りに本屋で衝動買いした。「リカーシブル

リカーシブル(新潮文庫)
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この町に入ったときのことはあまり憶えていない。

ママが「ああ着いてしまった」・・・

主人公のハルカは中学生になったと同時に、親の事情でこの町に引っ越してきた。古い家だが自分の部屋がある。ママは「すぐに何もかも良くなるから」というが、この母親はハルカと血のつながりがない。同居する小学生の弟サトルも母親の子であって、ハルカとは名ばかりの姉弟となる。父親は、勤め先で横領事件を起こして、社宅を追い出されたという設定。弟のサトルにはどうも予知能力のようなものがあるらしい。


正直言って、ついこの間まで小学生だった少女が、これほどまでに大人びた発想や行動ができるが疑問ではある。「生まれて初めて八百屋を見た」というシーンだけ妙にリアルではあるものの、ハルカの頭の中(=著者)という構造に違和感がある。一人称で描く必要があるドラマではあるが、あまりにもできすぎな中学一年生だ。


ハルカが転校してすぐ、同じクラスにリンカという友達ができる。リンカは最後まで極めて重要な人物だ。


弟のサトルが、通学途中の「報橋(むくいばし)」が怖くて渡れないとうのでハルカが付き添うが、この橋から飛び降りた人物がいるらしい。ハルカは学校で三浦という先生と出会い、この町の言い伝えにある「タマナヒメ伝説」について知らされることになる。数世代にわたり存在すると言われる「タマナヒメ」が、この時代にもいる。「タマナヒメ」は誰か?という展開になる。


その背景には、過疎化した町に高速道路を通そうとする町ぐるみの見えない思いがあるようだ。ハルカがこの町に来た時、最初に見た商店街の寂れた風景は、この町に語り継がれる過去の悲しい歴史を繰り返すことを暗示させる。


高速道路が全てを救う


という巨大な看板がこの町の意思だ。そのためにあらゆる情報を駆使して高速道路を通すために市民がうごめく。「報橋」から飛び降りた人物は、高速道路が通ることで町が復興でいる論文を書いた教授らしい。その教授が残した論文のデータがどこかに隠されていて、町の人々はそれを必死に探そうととてつもない計画を実行しようとしているのだ。



10年以上前に書かれたこの作品は、10年経過した今、おそらくあらゆる地方都市の現実として実感できるのではないか。そして「タマナヒメ」をめぐる大きなドラマとは別に、父親が失踪して、血のつながらない母親との距離を計るハルカの心情が痛々しい。本当の母親なら叱ることを、同居する母親は叱らずに優しく接する。この優しさがハルカにとっては辛い。喧嘩ばかりする弟のサトルとの関係もぎくしゃくするが、血のつながらない弟への思いが最後に示されてドラマは終わる。


日本経済の衰退と、それに合わせたような人々の心理に巣食う閉塞感と無力感。何をやっても無駄だという心理を生み出す現実が描かれている作品だった。サスペンスとしても実に面白いが、主人公の心理も読み進めるうえで痛々しく現実的だ。よくできた作品だと思う。
(=^・^=)


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30年前と現在を比較しても仕方ないし、これが将来もとにもどることもあるまいが、ではこの30年で資産はどこへ消えてしまったのか?を説明できる人がいるだろうか。答えはアメリカである。プラザ合意以降、全ては仕組まれたとおりになっているということだと思うがどうだろうか。去年の5月の記事も似たようなことを書いている。

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