66kg 「監視されるメディア」の・ようなもの
1981年公開の映画「の・ようなもの」
不穏で不愉快な一日だったが、映画を見て気持ちを切り替える。11月も終わろうというのに日中は19℃まで気温が上昇。ズボンの下に履いているスパッツが暑苦しい。
昼は前日の「白蘭酒家」の料理。ゆっくり食べる。
ダーリン様の帰りが遅いので、ひとりカップ麺(緑のたぬき)を食す。
ダーリン様は職場の戦争に勝って柿をもらってきたとかで、熟した甘い柿をデザートに食べる。こちらはまた差押にあって面倒なことになる。債権会社から電話があったり相手方の弁護士に電話したりとにかく面倒で不愉快な一日だった。
そんないや〜ないちにちを、森田芳光監督の「の・ようなもの」で締めくくる。すご〜く良かった。映画は1981年公開、42年前の作品だが、7年前2016年に映画館で再上映されたようだ。それを記念して秋吉久美子さんらが劇場挨拶にかけつけた映像がまた素晴らしい。秋吉久美子さんの変わらぬ美貌にも圧倒される。
いろいろあった一日だったが、この映画を見て42年前、つまり19歳だった自分を思い出す。何も世の中のことがわからず、漠然とした生活。大学に入って年上の女性と知り合い、それまで通っていた予備校時代も含めて、この映画や柴門ふみさんの「P.S. 元気です、俊平」”の・ような”世界に憧れた時代。大人になりたかった、でもなれなかった。そして今も・・・
この国のメディアの在り方も、40年前と随分変わってしまったようだ。
そして池上彰さんもついに選挙報道への圧力とも思える政府の行為にメディアが萎縮したことをコメントしたようだ。政治を監視するメディアが監視されるといういびつな状態。それはまるで「戦前」のようではないか。ここに恐ろしいことが書かれている。
「監視されるメディア」
選挙期間中、テレビ局は放送法に違反しないように、自ら政治的公平に配慮しています。しかし、安倍政権時代の2014年、自民党が在京テレビ局に対して「選挙報道に偏りがないように」と、わざわざ文書で申し入れを行ないました。
その結果、政治についての討論番組が激減。「申し入れ」があっただけですが、面倒を避けるため現場が萎縮してしまったのです。
安倍政権は申し入れだけでなく、抗議も積極的に行ないました。テレビ番組やニュースを事細かにチェックし、意に沿わない内容には頻繁に抗議しました。テレビ局は自粛ムードに覆われていました。
これだけ減らされた選挙報道(妖怪の孫 より)。
安倍元総理は民主主義の根幹の「報道の自由」をねじ伏せた希代の政治屋であろう。#1984年 https://t.co/liu0EdAJxH pic.twitter.com/l66OKEKJPV
— ヨツカイダー・OKAMOTO (@okamoocyan18)
自粛した理由は様々だろうが、なによりスポンサーの顔色を伺うテレビ局の日和見的な本質からすれば、マクロ的な意味でここにも資本主義の悪癖が鎮座しているように思える。政治と企業の蜜月にメディアも自滅したようなものではないか。もう資本主義が民主的だなどと幻想を抱くのはやめたほうがいいのではないか。
昨日は22時半就寝、今朝5時前起床。体重66kgが続く。
これは極めてまずい状態だ。危険だ。
(=^・^=)
★
2022
それでもアルゼンチンが優勝するんだからわからないものだ。ラグビーワールドカップも、プール戦で2位だったチーム同士の決勝戦となったわけだからね。
2021
ボストン市庁舎 - dalichoko
2020
アール・ブリュット 特別展 - dalichoko
2019
やはりこれは名作。
2018
2017
鳥羽なんかもう2度と行かないだろうな。しょうもないことに。行きたいとも思わない。死んだ町だ。
2016


