アメリカン・フィクション コード・ジェファーソン監督
AMERICAN FICTION | Official Trailer
売れない小説家が、偽名を使って出した小説が大評判になって、思いもよらない展開となるドラマ。しかし、そう単純なドラマではない。
主人公はある種のプライド高い大学教授。授業中に学生から質問を受けるが噛み合わず、その女子学生は教室を出てゆく。ここから主人公の頑固さがあだになり、妹の死(病室で足が動かなくなるシーンはうまい)やゲイの兄との衝突、アルツハイマーの母親の世話などと転落してゆく。彼はここで、自分の意思とはかけ離れた小説を偽名で書いてエージェントに送りつける。エージェントは乗り気ではなかったが、買い手がつき、映画化の話まで進んでしまう。並行して、彼は文学賞の選考委員に選ばれ、なんと偽名の本がノミネートされるというドタバタ劇。
主人公の本名はセロニアス。モンクと呼ばれるのはジャズピアニストのセロニアス・モンクに掛けているようだ。孤高の完璧主義者。
モンクの家の前に引っ越してきたコララインという女性と仲良くなるが、彼女が自分の偽名作品(タイトルはなんと「FUCK」)を読んでいることから喧嘩となり別れてしまう。かたや映画の製作は進み、ラストシーンの文学賞受賞シーンで、自分が受賞作の著者であることを公にするシーンで終わるのだが、プロデューサーはそれに満足せず、不本意なラストを自ら提案して終わるというオチだ。
不思議な映画だった。
これは例えば「黒人」というイメージが錯覚であることを示すものだ。「BEEF逆上」という連続ドラマやその他の人種とか見た目(ルッキズム)に依拠するようなドラマである。これを日本人に置き換えても、その人物の学歴や背景、あるいは宗教や支持政党などで人物の評価が変わってゆく。
最後にモンクはイライラしながらスタジオをあとにするが、貧しい身なりの俳優と目線を交わし去ってゆく。このシュールなエンディングの意味をぜひ知りたいところだが、主人公を混乱に貶めているステレオタイプの社会に対する強烈な皮肉をこの映画はぶつけているように思わせる。
驚くことに、これは実話なのだそうだ。
町山智浩さんの解説(「こねくと」より)
アメリカの黒人の貧困率って、わずか17.1%なんですよ。日本の貧困率って、15%ぐらいですよ? 日本人とほぼ同じですよ。だから黒人のほとんどは、中流です。しかもアメリカだと貧困率っていうのは相対的に出るものなので。アメリカだと年収220万以下だと「貧困」になるんですよ。でも日本の貧困のラインっていうのは、127万円なんですよ。だから、アメリカの黒人の方が、お金持ちです。アメリカの黒人の平均年収は4万8000ドルですから、現在の日本円に直すと726万円です。日本人の平均年収は400万円台ですよ。それなのに、日本人は「黒人は貧しい」って思い込んでるでしょう? そこに問題があるんですよ。それは、メディアも黒人自身も「貧しい黒人像」っていうのを売ってたからなんですよ。それを非常に皮肉った映画がこの『アメリカン・フィクション』なんですね。
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