#資本主義の精神分析 ③ #EXODUS
- 続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析
- 東洋経済新報社
- 本
学生の頃から接してきた経済学だが、ここまでくるともう疑う余地のないほどこの制度は狂っていると思えてくる。
第2部第7章「黄金のロバ」は金貨を排泄する。しかしそれはよく見ると糞で、ペストを蔓延させる原因となる。ケインズは「所有物としての金銭愛は、病的状態で犯罪性と病性が入り混じっている」と言う。人が目の前の金貨にどれほど愛着を覚えるか。旧約聖書の「ヨブ記」では、祈らないのに富を得る人と祈っても不幸な人の例えとしてヨブを示す。
第8章「ポリュクラテスと快楽主義なマゾヒズム」は”楽しみすぎるな”という格言にも似ている。快楽のあとには大きな不安がやってくる。「好況と不況」は表裏一体で、まるで双極性障害のようだ。日本のデフレを見ても同じことが言えよう。戦後経済成長はバブル崩壊で長いデフレをもたらした。これはまさに”そううつ状態”。躁鬱はときに自死へと導く。
マルクスは総括的に「すべての不都合は、個人が資本を所有し、市場が誤った方向によって導かれた。」という。市場、それはまるでギャンブルのようなものだ。第10章では「売春宿経済学」というタイトルで、経済システムと売春宿の類似性が示される。そして最終章は「モンテ・クリスターロの羊飼い」で服従と支配の歴史を紹介したうえで、利益のために人と資源を容赦なく搾取する資本に学ぶ。聖書には「7年豊作と7年凶作」という訓えがあるが、盲目的に支配された多くのひとは羊飼いのごとく蝕まれてゆくしかないのだろうか。
「汝自身を知れ」
という言葉に、自ら正気をとりもどすきっかけとするべきではなかろうか。
ギリシャ語の「出口」エクソダスというが、これはボブ・マーリィの代表曲にも歌われるとおり「革命」の隠喩でもある。我々はいままさに、古く訓えに学び、極端な格差が広がる限界資本主義と新自由主義と決別すべき時期なのだと思わせる。
セドラチェクがインタビューで応じていたように、チェコスロバキアという国で生まれ資本主義圏で育った彼にとって、どちらかが正しいという結論を導こうとする意思はなさそうだ。しかし、プラハを舞台にしたラングの「死刑執行人もまた死す」という映画が答えのきっかけにはなりそうだ。
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