#モロッコ流謫 ② 「喜捨」
この本が出版されたのが2000年のことなので、その後のモロッコと世界情勢は著しく変化しているが、この本に記された風景は時代とともに消え失せることはない。
第四章 地中海の余白 ララーシュ
いまでこそネットでどこの風景も目にすることができるが、その場の空気までは伝わらない。匂いや色合いや音などは、その場の空気にこそ委ねられる。そして、この土地の人々のしたたかさ、生きるための粘り強さなどは極めて印象深く、明らかに詐欺と思しき人物との対話もまた楽しい。
「喜捨」
という言葉にすらも魅力を感じさせる。ムスリムの戒律のひとつであり、旧約聖書の「落穂拾い」にも重なる。最後のこの章で、この地にゆかりのあるジャン・ジュネやサルトル(実存主義)の話題を取り上げる。
コーランの訓えに、
「よいか、孤児は決していじめてはならぬぞ。物乞いを決して邪けんにしてはならぬぞ。」
とあるそうだ。ムハンマドが孤児だったことと、ジュネも孤児だったことが紹介され、この本は静かに終わる。エピローグではマティスの絵画(タンジールの窓)や、ベケットにも言及している。
天蓋(シェルタリング)と王国
レジスタンスとしてのカミと非政治主義のボウルズを並べ、ふたりの来歴でいずれも共産党に入党して除名や離党をしており、このふたりの背徳的立ち位置がその後の作品に影響していることが示される。
背徳的といえば「シャルタリング・スカイ」も然り。夫のあまりにも大きな知性と存在感に圧倒された妻が、付き添いの小説家と肉体関係になる。この三人を砂漠がシェルタリングする。
砂漠/蜘蛛 ボウルズとボルヘス
砂漠の迷路「蜘蛛の家」を軸に、この本は終わりを告げる。
アラーのほかに主人を選ぶ者は、己が為に己の家を築く蜘蛛に似たり。家という家の脆弱なこと、蜘蛛の家のごとし。
先進国の堅牢な建物ではなく、この地の建物は一定の年数で壊して砂漠に還す慣わしがあるようだ。日本の都市部のビルや家屋が固く高層化するのに比べても、モロッコの人々がいかに土地を信じ神を愛しているかがわかる。推理小説のように進む旅行記は、いまという時代においても色褪せることはない。
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