ドライビング・バニー ゲイソン・サヴァット

今年見た映画の暫定ナンバーワン。ゲイソン・サヴァット監督は中国系ニュージーランド人の女性監督で、ケン・ローチ監督の意思を継ぐ者として確かな存在感を示す映画を作り上げた。素晴らしい映画だった。

キネノートのレビューはこちら。




冒頭、車の窓拭きをするシーンから始まり、この映画の主人公バニー・キングのあまりの破天荒ぶりは見る側の心境を複雑にさせる。それは『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『家族を想うとき』にも似たケン・ローチのタッチ。現実でありながら笑えるようで笑えない。特にバニーのこの怒りの礎が映画の中では最後の最後まではっきり示されないだけに、彼女の犯罪行為を見る側はまるで理解ができない。

バニーはただただ娘の誕生日をともに過ごしたいという欲求のためだけに、自らの正義を貫こうとする。しかしそれは社会の目にとって必ずしも正義とは映らない。スーパーで万引きをしたり、車を盗んだり、児童福祉局にウソの報告をしたりする行為は、社会にとって正義ではない。

ここにもうひとつ物語が重なる。バニーが仮住まいさせてもらっている、妹の家。一見優しい妹の夫は、どうも連れ子の娘トーニャ(トーマシン・マッケンジー)にいたずらしようとしている。それをたまたまバニーがみかけてしまい、正義感の強い彼女はそれを妹にもただすが聞き入れない。ここには強い男根主義のようなものが感じられる。女性に言葉を挟ませない暴力的な存在としての男。これもまた、社会の大きな問題だ。

バニーとトーニャは、家族という存在を軸に対岸の立場で、バニーの娘の居場所を見つけるためにドライブする。車の爆音とドライブ感は『テルマ&ルイーズ』を思わせる。ふたりとも社会と暴力男性という圧力から開放されるべく、『イージー・ライダー』のような開放感で突っ走る。

そしてラスト、目的地の福祉施設でとんでもない行動に出るバニーの思いが、とてつもないエンディングへと導くのである。ここはまるで『狼たちの午後』だ。皮肉にも、彼女を結果的に助けるのは、マオリ族の血をひく人たちだ。映画の中でそのことはまるでフォーカスされないが、この映画の見えないサイドストーリーには、明らかにニュージーランドで迫害されたネイティブのマオリ族のことが脈々と横たわっている。バニーが住む場所をなくした時、救ってくれたのもマオリ族だし、最後の福祉施設でバニーを理解してくれた女性もマオリ族。マオリ族を迫害して侵略したアングロサクソン系のバニーが救われるという皮肉は、いまニュージーランドが抱えている外国資本により不動産価格の高騰で、住む家を失う人たちが急増している現状を世界に知らしめている。


とてつもない傑作だった。日本で公開されたことに感謝。
素晴らしい映画に出会えた幸運に感謝。






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