#ダリチョコ の映画とグルメ

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バカの壁  養老孟司著


なんと20年も前の本だ。養老孟司先生を認識したのは、NHKで「脳と心」という番組を見てからだ。この本が出版された時期から遡ること10年、今から30年前だ。

この本を20年ぶりに読み直して思うのは、まるで予言の書のように20年後の今をなぞらえていることだ。そして橘玲氏の著書などの切り口が養老先生がこの著書で展開した手法に類似している(継承している)と感じさせることも感じさせる。いずれも社会を切り取って目の覚めるようだ。

養老先生は、この本の冒頭で「複数の解を認める社会がよい社会」だと結論づけている。前述の橘玲氏や、猪木武徳先生の主張にも重なる。要するに必要なことはバランスだと問いている。まずこここでは「バカの壁」とは何か?という問いを突きつける。テレビやネットの影響で「知ったつもり」になってしまう社会を憂う。「個性を伸ばせ」という教育にも欺瞞を示す。ここではいわゆる個性的な人を精神病院に送られる人をいい、普通の人は世の中のルールという常識を学ぶ。つまり個性を締め付ける教育をしながら「個性を伸ばせ」とはいかにも矛盾していると言っている。個性を伸ばすというより、ホームレスの気持ちがわかるような教育をするべきだ。


むしろ個性、あるいは「個」を主張しすぎると争いが起きる。これはこの本の最後に一言でまとめ上げる。


「自己の情報化」という章では、”自分は変わらない”というバカな考えに警鐘を鳴らす。むしろ目の前にある情報事態は変化せず、自分が変化していることに気づかない。無意識と意識の差に関わらず、我々は寝ている間、無意識に変化しているのだ。ここは20年前にこの本を読んだ時も印象的な部分だ。都市化による脳化社会の到来で、日本人は特に”身体”についての認識を喪失した。宮崎駿さんと養老先生の対談「虫目とアニメ」の中でもこのことが語られていた。身体に染み付いた習慣が集団活動の基礎となる共同体を維持していたが、都市化と脳化社会、情報社会で完全崩壊した。


後半で養老先生は教育について言及する。「教育の怪しさ」。これは痛切に自分の実感する。特にアベノミクスがもたらした偽りの愛国心。「教育と愛国」はホラー映画だ。アベノミクスが独裁者だったことを立証する。対して教育現場は疲弊している。労働基準法適用外のブラック企業だ。養老先生は「でもしか先生」という言葉で実情を切り裂く。


最後に「一元論を超えて」という章で、この本の冒頭に示された多様性についてまとめている。経済の欲について、金が現実ではなくあくまでも価値のバロメーターでしかないことを示し、”実の経済”と”虚の経済”並べる。「花見酒経済」のたとえは実に面白い。ハつぁんと熊さんがが酒樽を挟んでお互い十文ずつ渡し合って酒を飲む。そのうち酒樽に酒がなくなくなる、という落語のネタを、エネルギーの枯渇、地球環境の破綻懸念へと結びつける。このとき問題となるのが一元論の悪魔だ。宗教も天皇制もひとつの考えに盲信することで争いがおきる。経済や宗教もそうだが、人間の身体も脳も「二元論」の狭間で揺れている。考えが偏るとそこには悲しい結末しか待っていない。


自分もどちらかというと考えに偏りがあるほうだと自覚している。自分に考えがあって他人の意見は受け付けない。これまでしてきた仕事がまさに”偏り”を必要とするものだった。考えを一方的に押し付けるのは簡単だ。しかしそこにはこの本に書かれる「一元論」の愚かな壁、つまりは「バカの壁」が立ちはだかり、ことを複雑にさせるだけだ。自分もこの国も世界も、いままさにこの「バカの壁」を乗り越えなければならないのだと思う。

この「バカの壁」がその後広く多様な人々に与えた影響は大きい。斎藤幸平教授の著書にも少なからず影響していることがうかがえる。


人新世の「資本論」




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