#ジミー・サビル : 人気司会者の別の顔 「a travesty of justice(正義の茶番)」
まず、この映画の話題の前にふたつほど言い訳があって、ひとつは最近ヒッチコックの映画を追いかけていて、ヒッチコックも「鳥」のティッピ・へドレンらに性的虐待に近い行為をしていることが明らかにされ、孫のダコタ・ジョンソンが「ヒッチコックを許さない。」と戦っているという事態が生じている。残した映画と、その人物の虐待行為を同列に見るかどうかは判断の分かれるところだが、あってはならない行為であることに間違いはない。
もうひとつは言うまでもなくジャニーズ問題である。ヒッチコックとジャニーズが同じかどうかは別にして、今回見たこの映画は、これらの見えない虐待行為が政治問題であることを露呈させている。
「シー・セッド」や「アシスタント」のワインスタイン(禁固23年)・ケースについては日本でも多く示されているが、ジミー・サビルというイギリス人は全く知らなかった。なんと50年にも及ぶ長い期間、この人物は自分の人気ぶりを利用して、数百人にも及ぶ人たちに性的虐待行為を重ねていたという。
問題は・・・
日本のジャニーズ問題と同じで、なんとこの人物は王室や政治にも影響を及ぼしており、なんとサーの称号まで受けている。生きている間はこの人物の行為が明るみにでることを警察権力も交えて阻止した痕跡があり、ジャニーズ問題と重なりう部分が多い。
2部構成のドキュメンタリーだが、後半の部分で当時受けた行為を勇気をもって告白する人たちの声が、あまりにもすごすぎて言葉を失う。当時、少女だった彼女は、サビルから受けた行為を親にも相談できなかった。「サビルがそんなことするわけがない」と親に言われてしまえば、もう誰にも相談できないだろう。
こうしたことがきっと、ジャニーズに限らず、テレビやメディアを支配する社会でもっと辛い思いをしている人がいることをこの映画は示す。
言いにくいが、もしかすると傲慢な姿勢は自分にもあるかもしれない。性的な行為に至らなくても、そういう行為を想像する自分がいる。かつて「スポットライト」という映画が、カトリックの神父による性的虐待行為を新聞社が暴露するまでのぎりぎりの攻防を示した。
アメリカでもイギリスでも、こういうおぞましい行為が暴露されているが、日本ではまだジャニーズ問題は氷山の一角であろう。そのことを自ら政治的な姿勢で正面から取り組もうとする意思がない限り、まだまだ見えないところで同じような行為が繰り返されることだろう。
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捉えられたジミー・ライさんを、ここまでして拘束しつづけることが、中国の政治的資本主義にとって大きなメリットがあるのだろうか。記事にはジミーさんの生い立ちなども書かれていて興味深い。