大西芽布「トラウマ遊園」神保町会館

去年の夏頃、GINZA SIXで開かれた「人間の森の中で」、そのあまりのスケールの大きさに圧倒された大西芽布さんの個展が神保町で行われていると聞いて、あわてて飛んで行った。
場所は神保町の吉本シアターの向かいにある古いビルの3階。


それほど広いスペースではないが、その狭いスペースをうまく利用してスケールの大きな巨大な作品を展示している。

ゴーギャンがタヒチを舞台にした代表作を彷彿とさせるような物語性を感じさせるが、必ずしも連続性があるわけでもなさそうだ。

大西さんは、この狭いスペースに、大きな作品を柔軟に角度をつけて展示することによって、作品のストーリーを語るだけでなく、見る角度によって組み合わせの異なる構図によって印象を変化させるという試みに挑戦しているようだ。少し嫌味な言い方をすると、デフレ社会を逆手にとった(?)ような方法だ。しかしどうも彼女の狙いはそれだけではないらしい。

この不思議なフレームに描かれた三人の女性。作品名は確か”姉妹”だったと思うが、左側のインスタレーションを見ると、大西さんがこの作品を持って色々な場所に佇む姿が次々と映されてゆく。彼女はまるで作品をおもちゃのもように持ち歩き、ときにこの作品と被写体の三人に混ざり合うように風景(背景)とともに変化してゆく。大西さんの存在と作品が同一性をもって表現される。もしかしたら大西さんの内面が表現されているのかもしれない。しかもこの不思議なフレームが実に面白い。

ほかにも印象的な作品が並び、それぞれの作品に魅入られてゆく。大西さんの作品は、作品というフレームを超越しているようだ。銀座で見た「人間の森」という概念をも超え、全く次元の異なる世界に向かおうとしてることを感じさせる。人間だけではなく、生きとし生けるものへの興味がそのまま様々な色合いと形になって示されているように思える。

そしてついに二次元の絵画という枠を飛び出し、絵画に取り付くオブジェ、あるいはオブジェそのものへと進化している。

個人的に最も気に入ったのがこの作品。見れば見るほど不思議な世界だ。これを「耳」と解釈するのは、タイトルがそうだからであって、結果論だろう。見方によってはまったく別のものにも見える。具体性が強くなりすぎて抽象化された「何か?」というような作品だ。


これらの一見人を寄せ付けないような恐怖心を煽る作風は、怖いもの満たさという人間の矛盾を掘り起こす。恐怖映画で怖いシーンで手で顔を隠し、指の隙間からスクリーンを除くような感じか。個展のタイトル「トラウマ」の意味をよく理解してないが、彼女の原体験と彼女の手で描かれるこの作品が他人に与える効果とは、見てはいけないものを見る恐怖心を誘うものなのではないか。


画家としても有名な映画監督の黒澤明が、幼い頃の戦争体験で見てはいけないものをじっと見つめた恐怖を語ったことがある。人はそういう矛盾を抱えて生きているということだと思う。そして大西さんの作品のスケールと、多くの作家や映画監督が積み上げてきた歴史をたどると、若き大西芽布さんの将来が全く違う形となって変化してゆくことを想像させる。



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ありがたいことに、大西さんにTwitterでお礼までいただいて、ますます応援したくなりますね。


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