赦し アンシュル・チョウハン監督
キネノートのレビューはこちらから。「赦し」素晴らしかった。レビューを書いたら、チョウハン監督から涙のお礼をいただいた。
映画『赦し -ゆるし-』予告編/3月18日(土) 魂のロードショー
先ごろ行ったユーロスペースのこの巨大な宣伝。ここに佇めば、松浦りょうさんの目線にその場を離れることができないだろう。
「コントラ」で、アンシュル・チョウハン監督の舞台挨拶に出くわした。あのとき、新宿のケイズシネマに、もしかしたら松浦りょうさんも来られていたのかもしれない。そう思うと、この映画もそうだがなにかの縁を感じさせる。とにかくこの「赦し」の松浦りょうさんはすごい。素晴らしい。
もちろんほかの俳優さんも素晴らしく、矛盾に満ちた登場人物をそれぞれ好演している。この映画の人物たちはいずれも矛盾に満ちている。そもそも人間が矛盾に満ちた存在であることが大前提である。娘を殺された親と、殺した未成年という関係は、様々な過去の事件に遡及してゆく。池袋暴走事故事件を題材にした「茜色の焼かれる」や、銃乱射事件を題材にした「対峙」など、いずれも加害者と被害者という関係を対立軸で描くドラマだ。しかし今作は少し違う。この映画をまとめると、この松浦りょうさんの目線に集約される。それは何か?あるいは何故なのか?を考えて見る映画なのだ。
映画はカメラが俯瞰で映すシーンを多用する。冒頭、川べりで少女が殺されている残酷なシーンを空から見下ろす。それはまるで神の目線だ。そして最後もまた俯瞰の位置から二人の人物を長回しで撮っている。この意味深いシーンと、松浦りょうさんの目線を反芻すれば、この映画の本当の狙いが見えてくるのではなかろうか。
どうも厳しめのレビューが多くて残念なのだが、そういう意見もわからなくはない。ただ、側面的に映画を見るだけでは、つくり手の意思は伝わらない。しかも今作は、チョウハン監督にとっても有名俳優や話題性のある俳優と初めてコラボする映画だ。そのあたりを汲み取って、いまいちど映画の本質に近づいてほしいと思う。
ところで、この松浦りょうさんの目線に近いものをどこかで感じたことがある。
ずっともやもやしていたが、エドワード・ヤンの「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のリサ・ヤンの目線だった。
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