没後10年 映画監督 大島渚 国立映画アーカイブ 「泉房穂明石市長」
国立映画アーカイブで「大島渚」監督の特集をやっているので見てきた。京橋のこのあたりはなかなか不思議な空間だ。
こちらの「美術展ナビ」の記事が写真なども豊富で丁寧だ。ほかにも多くの媒体がこれを宣伝している。
どれも興奮するような垂涎の証拠品が並ぶのだが、中でもこれがすごい。
たまたまだが、ガラスに「カメラは、常に加害者であるべきだ」の文字が反射しているがこれは偶然だ。この、映画「少年」に出てくる黒塗りの日の丸こそ、大島渚が見た日本だったのではないだろうか。この流れで、「絞死刑」の予告編を見ると、大島渚が明確に伝えるメッセージがある。
「国家は常に悪で、国民は常に善なんだ」と本人が言っている。これはいま、憲法を壊そうとする国家の動きを見る上で真なり。自民党は当然だが、間違って共産党が政権を獲ったとしてもその時は”悪”になる。だから国民は常に国家を疑って見る目を養う必要がある。そういうことなのではないかと思う。
この映画に出演している足立正生監督にもこの意思は受け継がれていると思う。
「戦場のメリークリスマス」が製作されるまでの証拠品も並ぶ。
先ごろお亡くなりになった坂本龍一さんとの契約書原本も展示されている。
幻の企画となった「ハリウッド・ゼン」の資料。
これもまた坂本龍一さんが主役になる予定だった。
「ごきぶり」という企画もあったようだ。
「愛のコリーダ」を中心とする資料もすごい。これは、藤竜也さん演じる吉蔵が切られるペニスの制作費。なんと7万円。
あらためて大島渚人気を実感するが、映画の世界でこの反逆者の企画や再上映がこれほど人気を集めるのか。それはきっとこの社会がいかにも右寄りにシフトして、あらゆるひずみが生じていることを実感する人たちが増えていることが理由ではないか。大島渚には、常に戦争の影がある。彼の作品はひろく日本が過ちを犯した戦争に対する問いかけが散りばめられている。そのことを自覚させるために、大島渚の存在はいまも必要とされているのだと思う。死して10年。彼の仕事はまだ終わっていないようだ。
この記事の最後に弾圧されて消滅した「プロキノ」のことをメモした終わろう・
国家は嘘つきで、ときに恐ろしい弾圧をするものだ。だから憲法は国家の制御装置でなければならない。「妖怪の孫」の中で小林節教授が述べた証言をメディアはもっと広く社会に伝える義務があるはずだ。
ところで大島渚ならこういう現状に厳しく噛み付いていたであろうと思う。
人口が多かった高度成長期よりも大企業や富裕層に対する税率ははるかに下がっているのに、日本の税収が過去最高に増えたのは、消費税によって、一人ひとりから奪う税金が増えてるからですね。 https://t.co/KDWPQgwhXK
— 町山智浩 (@TomoMachi)
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