#何もしない 「大衆の複雑性」
第五章 ストレンジャーの生態学
本書は著者がかつて読んだ膨大な量の著書から、このテーマの趣旨に則った言葉を羅列している。読み応えはあるが、あまりの量にパンクするほどだ。それこそ「注意」をそらすと内容に追いつけない。しかも場面転換も早い。
この章は、見ず知らずの人(ストレンジャー)を人助けしたことで周りの風景が違って見えるという話から始まる。レベッカ・ソルニット「災害ユートピア」は、見知らぬ人(ストレンジャー)が助け合う精神的支援の必要性を解説する。
反面、ネットの世界は見知らぬ人の情報が垂れ流され(このしょうもないブログも然り)、その中に仕組まれたアルゴリズムはあなたの嗜好を決めつける。ネットの世界のあなたらしさは資本の標的とされ、自分が本来認識している自分ではなくなってゆく可能性がある。
ここでジェントリフィケーションに対する思考も紹介される。
しかしこの考えも、人はいつか死ぬ(たとえば災害などで)を考えない、物質的な考えだそうだ。ジェントリフィケーション的な考えの延長にこそ危険がはらんでいる。著者はどうもそう言いたそうだ。
第六章 思考の基盤で修復する
野鳥愛好家が鳥を観察するうちに、鳥ではなく”鳥の名前”に気を取られてしまう。これはSNSも同じで、動物や自然そのものではなく、無味乾燥で支離滅裂なSNSのような目先(名詞など)にとらわれてしまう人間の基盤の問題だ。
大衆の複雑性 vs 自己(内部)の複雑性
この対峙を常に意識しないと、いつの間にか自己認識が大衆の複雑性にかき消され、鳥ではなく”鳥の名前”(表面的な)に流されてしまう。ハンナ・アーレント「出現の空間」の言葉を借りて「狭い領域の複雑性は崩壊しない。」例えば家族や友人。こうした小さな空間は、大衆性を阻止できるのではないか。思えば日本の政治も、いつしか大衆性(総理大臣がお笑い番組に出るなど)によって大きく揺動された。我々はこれに疑問すら抱かない。
自然に対する考え方も同じで、資本主義という拙速な進化に導かれし我々は、自然が自分と無関係な外にあると誤解しているらしい。いずれ死ぬべき運命にある生き物として、よく生き良く死ぬ方法を考えるべきだ。強欲な政治家が裏金でどれだけ資産を蓄えても、それが自然に戻るものではない。そして自らの死をもって、資本との縁は途切れるのだ。
#ディアストーリーズ 渋谷公園通りギャラリー、「大量逮捕」 - #ダリチョコ の映画とグルメ
つづく・・・
★
