#横尾忠則 寒山百得展② 「原郷の森」
前回のつづき・・・
寒山、拾得、豊干を現代の横尾忠則が引き受けて多くの人達に伝えようとするものがぼんやりと見えてくる。横尾さんが言うとおり、これらの作品に「テーマはない」
寒山や拾得が手にしていたものは箒と巻紙。身の回りを掃除し、時代の風を詩に書き写す。それを横尾さんは、掃除機とトイレットペーパーに置き換える。
それだけではない。横尾忠則さんが若い頃から抱いてきた死生観は、本人の意思とは裏腹に、作品のどこかに滲んでいる。
死とは言うまでもなく戦争。そして空襲の熱い記憶。これらに重なるものは、生きる者への何かだ。それこそ円空仏に訴求するような、祈りであり希望と絶望。希望も絶望も裏腹の関係にあって、どちらかが正負の関係にあるものではない。いま世の中は、ネガティブな情報とデジタルで作られたフェイク映像しか残されていない。手で描いた人の感覚が伝わるものなどどこかに残されてるだろうか。肌触りや臭い。こうした肌感覚が、この展示のキャンバスの上に踊っているようだ。
- 原郷の森
- 文藝春秋
- 本
つづく・・・
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