#善と悪の経済学① #トーマス・セドラチェク 著 聖書、古代ギリシャ
かつて読んだ「未来を語る人」という本で紹介された著書を読んでみる。
- 未来を語る人 (インターナショナル新書)
- 集英社インターナショナル
- 本
大野和基氏がまとめたこの本の中で、セドラチェク氏の主張はチェコという共産圏で育った本人の経験を踏まえつつ、経済学から数式を切り離し、壮大な過去の聖書などの物語から資本主義を見直そうというこころみをしている。
序章でギルガメシュ叙事詩について言及し、ケインズの
善悪とどちらも危険なのは(略)思想である
というテーマから始める。物語→経済→神話 から 強欲→進歩→善悪→市場→アニマルスピリット(ケインズ)→メタ→真理 へと結ぼうという。
第1部 古代から近代へ (奇妙な円環構造=何も変わらない)
第1章 ギルガメシュ叙事詩
ギルガメシュの親友エンキドゥを軸に始まる。
野生の中にいた野獣エンキドゥが人間に食物を食べるうちに人間に生まれ変わり、ギルガメシュとの友情が芽生えるものの、この友情が長く続かずエンキドゥが死んでゆく物語に、著者は文明の支配による人間の愚かさを重ねる。レバノン杉を切り倒すシーンなどがそれだ。文明化が市場を生み、資本と労働の関係が生まれ、その仕組に依存して人間そのものがダメになってゆくさまをこの叙事詩に照らしている。
第2章 旧約聖書
かつてジョージ秋山さんの「聖書」を必死に読んだが、たしかに「聖書」には思いもよらない経済学的なドラマがいくつも点在する。ケインズの「アニマルスピリット」やコンドラチェフの「景気循環」、あるいはスミスの「見えざる手」など、それぞれに意味を持つようだ。中でも「ヨブ記」については、本書のタイトル「善と悪」という面において、幾重にも災害や試練を受けて祈り続けるヨブの生き方は現代への預言とも言える。
ほかにも「ソドムとゴモラ」は、資本の独占に対する防止策(戒め)であり、「落穂拾い」は社会保障、利子を取るなかれ、安息など、そして何より”赦し”とは債務免除をほのめかしているという。すごい飛躍だ。
第3章 古代ギリシャ
ここはベンサムの「功利主義」やミルの「経済学原理」などへと向かう。
クセノポンの「富の最大化」はスミスの「国富論」。マルクスが強く影響を受けたプラトンの「汝自身を知れ」の言葉に”財産は人間を堕落させる”というメッセージからストア派が欲望(需要)を抑制することで国富を守ろうとする考えへ依拠してゆく。そして賢人主義が禁欲を訴えることで社会がバランスを保つというものだ。
エピクロス派の快楽主義に真っ向から対峙しようとする考えは、現代の新自由主義経済がサプライサイド(供給側)のバブルを生み出す経済を築いてしまった事実と照らして意味深い。善(効用)を最大化することが本当に社会全体の幸福につながるのか?という疑問を示すものだ。実に面白い。
つづく・・・
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