豊島美術館 「母型」内藤礼
念願だった犬島をあとに、豊島に向かう。
何度も来ている豊島だが、今回は高速船の中でガイドを聞くことができて収穫だった。
というのは、この島を巡る「豊島事件」などの不幸な歴史を恥ずかしながら初めて知った。
戦後最大級の不法投棄事件として歴史に刻まれているらしい。
この美しい風景とは裏腹に、島、という環境を悪用して、企業が傲慢で横暴な自然破壊に加担していたことを聞く。
豊島に着いて、電動自転車を借りようと思ったらすでに出払っていて、しかたなくバスを待つ。ほどなく小さなバスが到着し、目的の豊島美術館に向かう。2016年以来、6年ぶりの豊島美術館。
3度目の母型だが、いつ来てもその感動は変わらない。
外から見るとどこにあるかわかならいほど控えめに作られたドーム型の建物は、順路通りに進むと小さな山(というか丘か)の反対側をまわって入り口となる。全員靴を脱いで静かにトンネルをくぐる。するとその先の大きな空間が人々を待ち受ける。タイトルが示すとおり母親の胎内に戻ったような錯覚。もちろん、母体にいたときの自分の記憶はない。誰もが母型を忘れている。いや母型を失っているといったほうがいいのかもしれない。ここで何も考えずに座り横たわり耳をひらくと、外から風とともに蝉の声が入ってくる。ドームには風を感じさせるツールもあって、それを見ているだけでも飽きない。床から湧き出る水滴は、汗や涙を連想させる。そしてその一滴のしずくが研ぎ澄まされた建物の床を転がるように進んでゆく。まるで昆虫などの生き物のようだ。ここで高速船のガイドが蘇る。豊島から廃棄された汚染物質。黒い歴史を拭い去るように建てられたこれらの芸術作品や建築物は、本当に必要なものなのか?
われわれはアートという綺麗事の前に、まんまと騙されてここにいるのではないか?と疑問を抱く。自由に解き放たれたアート表現の中に我々は埋没しているのではないか?母親の胎内で静かに眠り目が覚めたとき、その空間のあまりの大きさに時を越えて違う自分が生まれ変わるようだ。
美しい棚田の風景は、以前に見た風景と少し変わって見える。ただ美しいというドラマではなく、これもまた作られた自然であることに気づく。
様々な思いが去来しつつ、いつもの海へと向かう。
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