福田村事件 森達也監督
福田村事件
公開二日目の渋谷ユーロスペース、午後3時の回を鑑賞。
冒頭に興味深いツイートを見つけた。あの黒澤明監督の思い出だ。
証言をもう一つ。当時中学2年だった、世界の巨匠、黒澤明監督。「あの井戸には朝鮮人が毒を入れた。井戸に書かれている白黒の記号がそのしるしだと大人たちに言われた。だが、そのしるしは、以前僕が悪戯で描いた落書きだった。呆れるほかなかった」。
— 崔盛旭 (@JinpaTb313)
いまの日本人が当時となんら変わらないことをこの映画は示唆している。
政治家はこういう映画をきっと誰も見ないし、見たくないだろうと思ったら、ある政治家の方を客先に見かけた。政治家に限らず、この自分も含めてこの映画と正面から向き合うには心が痛む。しかし劇場には思った以上に若い方が多く、心強かった。そして歩くのもおぼつかないような年配の方もこの小さな映画館の階段を上り下りされていた。つまり、若い方も年配の方も、
この映画を”今”見ておかなければならないと感じているのではないか。
なぜなら、これは100年前の話しではなく、たった今起きている話しだからだ。この映画の冒頭で、電車で移動する主人公の横顔が映り、ラストで虐殺された少年が正面を向くシーンがある。目を背けようとする大人と、この現実に真正面から向き合おうとする少年の未来。この2つを最初と最後に照らすことが映画の目的なのだと思う。遺骨を抱えた妻が「名誉の戦死」かどうかを問うと、井浦新さん演じる主人公は答えられない。この忸怩たる思いは、政治的閉塞感に打ちひしがれる2023年、令和の今なのではなかろうか。
第一次世界大戦、関東大震災、第二次世界大戦、東日本大震災、かこの歴史に照らして、同じ過ち、つまり困ったら他者を阻害(虐殺)してしまえばいいという、いかにも日本人的思想(それは自分にも息づいているかもしれない)に、この映画の自警団のような強い存在に便乗してしまえばよいという大政翼賛的な発想。そして目の前で起きている現実を黙って見過ごす「見てみるふりをする社会」そのものが、この映画に凝縮される。
こうした史実を失ってはならないが、これはことによると日本人に限らず、人という最も愚かな生き物全体を象徴する、人類学的な映画だったのではなかろうか。
「福田村事件」@ユーロスペース
凄い映画でした。ぜひ見ていただきたいので、中身は紹介しません。しかし、関東大震災での虐殺事件の背景だけでなく、この国のゆがみをこれほど重層的に、複眼的に描いた映画があっただろうか。脱帽です。… pic.twitter.com/cZM8iHN1EX— 小池 晃(日本共産党) (@koike_akira)
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